日本の四季

豊かな四季をもつ日本

日本は南北に長い国で、それぞれの地域により多少の誤差はありますが、全国的にはっきりとした四季が存在します。そして、『なかひがし』の拠点である京都では、春夏秋冬のそれぞれが、殆ど同じぐらいの長さで毎年やってきます。

また、その四季に伴い様々な行事や神事が行われ、1200年という歴史ある都は新しい文化も創造しながら、常にその歴史を守ってきました。

ここでは、農耕民族である日本人らしい京都の行事や神事を中心に日本の四季をご紹介していきます。

一月〈睦月〉

一日
年が明けると除夜の鐘が街に鳴り響き、それが鳴り終わる頃に近所の氏神様へ出向き一年の福徳を祈ります。五穀豊穣や無病息災、商売繁盛や学業成就等、京都の神社はそのご利益も多岐にわたり、近年では全国から人々が集まり、それぞれ叶えたい事を胸に抱き、お目当ての神社に出かけ、それぞれの願い事を神に伝えます。

一日~三日
京都では竈の事を『おくどさん』と呼びますが、元旦の早朝にはこのおくどさんに火打石で切火をして火を入れ、邪気を払って神々に捧げるための雑煮を作り、三が日ではその残りを朝食に頂きます。雑煮の内容は全国各地様々ですが、京都では、白味噌汁に丸餅と頭芋、薄く輪切りにした祝い大根を入れるのが一般的です。

二月〈如月〉

三日
立春の前日が節分。春を待つ行事ではあるものの、この時期の京都は最も寒い。魔除けの柊に鰯の頭を刺して玄関口に置く風習や恵方巻を食べたり、豆を撒いて「鬼は外!福は内!」と唱えるのは豆で鬼(邪気)を追い払う意味。また、年齢よりもひとつ多く豆を食べると一年間、無病息災と信じられています。
京都市、吉田山にある吉田神社の節分祭には三日間で数万人が毎年参詣します。

四日~五日
二十四節気の一番目が立春。新暦の2月4~5日頃、天文学的には太陽が黄経315度の点を通過する時をいいます。昔から、この日の前夜を年越しと考える風習があり、正月節ともいいます。この時期の京都はまだまだ寒いですが、歴の上では春の始まりで、太陽が高くなり、光が明るさを増す為、春の気立ちを感じ始める頃でもあります。この日の早朝、禅寺では入口に「立春大吉」と書かれたお札を貼ります。

三月〈弥生〉

三日
上巳の節句と呼ばれるひな祭りの起源は、中国古代の禊の行事だったと云われています。日本各地で行われている「流し雛」はこの日、水辺で体を清め、邪気を祓ったという中国の故事に習った物で、それがひな祭りの始まりとされています。京都では毎年、下鴨神社の御手洗川にさんだわらに乗せた紙雛が流され、この形代がいつしか、宮廷の姫君たちの「雛遊び」となっていったのは平安時代。美しい雛飾りで桃の節句を祝うようになったのは江戸時代に入ってからという事です。
現代では、お雛様を飾ると必ず食されるのがばら寿司で、京都のばら寿司は酢飯に雑魚や干瓢、椎茸、高野豆腐等を混ぜ、その上に海苔と金糸卵をのせ、紅ショウガ等を散らした、生魚等を加えないスタイルです。

四月〈卯月〉

四月の京都は一年で最も華やかな月で、哲学の道や鴨川、琵琶湖疎水周辺に咲き乱れるソメイヨシノ、平安神宮の紅枝垂、仁和寺の御室桜、墨染寺の薄墨桜等、花見の名所では桜が爛漫と咲き誇り、全国からその桜を一目見ようと観光客が増えます。
花見の宴を初めて行ったのは平安時代の貴族だったと言われていますが、農耕民の間ではそのずっと昔から、秋の実りを占う為に花見が行われていたとのこと。サクラのサは稲の霊の名で、クラは神の座。その花に宿った稲の霊を迎えて祀り、五月に田植を始めたのだと言い伝えられています。
また、桜は白色や淡紅色、五弁の花や八重咲きのものもあったりとしますが、京都では3月の終わり頃から円山公園の枝垂れ桜が咲き、その後、ソメイヨシノが街中に咲き、4月の下旬になると御室桜、そして5月初旬には北山の桜が花を開き、まさに春が里から山へと昇っていく様子が見れます。

五月〈皐月〉

三方を山で囲まれた京都の五月は新緑の山から吹く爽やかな風に包まれ、一年でもっとも気持ちの良い季節となります。そして、その爽やかな風と共に葵祭りを始め、様々な神事が行われたり、鴨川に納涼床が出たりと、夏の訪れを次第に感じるようになります。

二日~三日
立春から数えて八十八日目を八十八夜といいます。この頃になると降霜がなくなり、春から夏への節目となります。農耕ではこれが夏作物の種まきの目安とされ、畑では種まきが始まり、茶畑では新芽が出揃うので茶摘みの最盛期に入り、八は末広がりで縁起が良いとされている事からこの日に茶を飲むと長生きするともいわれています。

十五日
葵祭は祇園祭り、時代祭りと並ぶ京都三大祭りのひとつ。西暦567年頃に凶作が続き、賀茂神の祟りを鎮める為、鈴をつけた馬を走らせたのが始まりとされ、平安時代には単に「祭」といえば葵祭り(賀茂祭)をさした程、由緒正しい格式のある祭礼です。
また、この葵祭りを皮切りに京都で行われる祭りの時には三枚におろした鯖を酢と塩で締め、寿司飯の上に一枚丸ごと乗せて竹の皮で包んだ鯖寿司を各家庭でたくさん作り、親戚や知人に配り、共に祝う風習があります。

六月〈水無月〉

六月は梅雨に入り沢山雨が降るにも関わらず、水無月と呼ぶのは一説に田植が始まり、皆が田に水を引き、沢から水が無くなるという事が起源と云われています。
この頃、全国でも田植に関わる神事や行事が行われます。

十日
伏見稲荷大社では、苗代で育てた早苗を豊作祈願をしながら神田に植える神事を御田植祭とし、汗衫姿の神楽巫女が田舞を舞う中、約三十名の植女が手際よく早苗を植え付けていきます。

三十日
白い外郎の上に邪気を祓う小豆が乗せられた三角形の餅菓子を水無月といいます。京都では御所に氷を献上する氷室の節供が行われていましたが、氷は貴族が食べる貴重品で、庶民は氷を模した三角形の菓子にして食しました。これを夏越の祓いの六月晦日に食べると厄払いが出来、残る半年を無事に過ごせるとされています。

七月〈文月〉

盆地、京都の夏は風も吹かず、蓋をされた蒸器の中にいるように暑く、陰に入っても滴る汗が止まりません。
そんな京都の七月は一日から三十一日までの一カ月間、祇園祭りの活気に京都人のみならず、全国からの観光客で更に熱気を帯び、街中祇園祭一色となります。

一日~三十一日
祇園祭は1100余年程の歴史があり、規模、伝統ともに、日本を代表する祭礼のひとつです。
正しくは「祇園御霊会」と呼ばれ、西暦869年、インド祇園精舎の守り神、牛頭天王を迎えて、その時流行した疫病の退散を祈願したのが始まりです。
牛頭天王は我が国の荒ぶる神・素戔嗚尊(スサノオミコト)と習合し、八坂神社の祭神として祀られ、神幸祭の17日夜、神輿に乗って氏子町内を渡御されます。この荒ぶる神を喜ばせ、遊ばせる為に美しい行列や歌舞音曲を行う山鉾町が主催する山や鉾。火災や動乱等の苦難を乗り越えて、京都の町衆が今日まで守り、現在では前祭(17日)23基と後祭(24日)10基の計33基が絢爛たる美術工芸品で装飾され京都の街を巡行する事から、動く美術館とも呼ばれ、祇園祭のハイライトとなっています。

三十一日
祇園祭を締めくくる行事として、夏越祭りがあります。鳥居に取り付けられた大きな茅の輪をくぐり、半年の厄や穢れを祓い無病息災も同時にお祈りします。

八月〈葉月〉

まだまだ暑い京都といえども、そよ風が吹き出したり、虫の声が聞こえてきたりと、秋を感じだす頃です。また、お盆の終わりを告げる五山の送り火は京都の夏の風物詩ともいえます。

一日
古くは、田の実の節といいましたが、田の実とは稲穂の事で、たわわに実った稲の穂を神に感謝し、祝ったのが八朔祭である。この日、各神社では豊穣祈願の神事を行います。この頃、田園の稲穂に実が突き出し秋の訪れを感じます。

十六日
盂蘭盆会の行事で、五つの各山にある字や形に添った火床に午後八時、大・妙法・船形・左大文字・鳥居形の順に火がつけられていき、五山の送り火が行われます。仏教が庶民に浸透するようになった室町時代以降に起こったといわれていますが、口碑によると、昔、大文字山の麓にあった浄土寺が炎上したとき、本尊の阿弥陀如来が峰に飛び移って難を逃れ、その時の光明をかたどって点火したのが起源といわれています。弘法大志はこの光明を未来に残して、人々の極楽の機縁にしようと思われ、「大」の一字に封じ込まれました。

九月〈長月〉

日中はまだ暑くとも、朝晩は涼しくなり、九月に入った頃から田園では、一段と膨れ上がった稲穂の上を赤とんぼが飛び出します。また、仲秋の名月は町を美しく照らし、稲穂に見立てた芒の穂と団子や里芋等の収穫物を備え、秋の収穫期と重ね、収穫の予祝としての月見が重要な農耕儀礼となっています。

九日
最大数の陽の数字(奇数)である9が重なる日は不吉とされており、それを祓う行事として節句を行っていましたが、後に陽の数字は吉祥という思想に変わり、大変めでたいとされ、重陽の節句は3月3日の桃の節句に対して、菊の節句ともいい、菊の花を飾ったり、菊酒を飲み交わして不老長寿を祈りました。全国的には重陽の行事は減っていますが、京都の上賀茂神社では菊の被綿を神前に供える神事や氏子の子供達による烏相撲が行われ、不老長寿や悪霊退散を祈ります。

十月〈神無月〉

八百万の神々が出雲に集まる為、神無月。逆に出雲では神有月というそう。島根県、稲佐の浜で神迎えが行われます。しかし、京都ではその謂れを欺き、街中の神社で収穫の喜びを神に感謝し、花祭りや酒祭り、茶祭り、瑞饋祭り等、様々な秋祭りが行われます。

二十二日
平安京遷都1100年を祝う記念行事として平安神宮が創建されたのを機に始まった行事として時代祭りがあります。120年程の比較的歴史が浅い祭りですが、京都の三大祭りのひとつとして親しまれ、京都の秋を彩る大変華やかな行事です。
当日朝、神幸祭を平安神宮で行った後、鳳輦が京都御所に入り、正午から建礼門前より、平安時代延暦期から明治維新までの時代を歴史人物に扮した総勢二千数百人に及ぶ参列者の巡行が始まり、京都の街を抜けて平安神宮まで巡行します。

十一月〈霜月〉

暑さが納まり、日々涼しくなり、一雨降るごとに寒くなり、それと同時に山は赤く染まりだし、山々は燃えるように紅葉していきます。京都では様々な神社や寺の背景に三方を囲む山が赤く染まり、その風景を一目見ようと全国からの観光客が一番増える時期。春とはまた違う賑わいを見せます。そして冬入りを感じる下旬、農家では漬物等の冬支度が始まり、酒蔵では酒仕込みが始まります。

二十三日
宮中で天皇陛下がその秋に収穫されたお米や、酒等を神様に供え、それを自らも食し、その年の収穫に感謝する行事を新嘗祭といい、日本国家の収穫祭にあたります。
京都では起源がこの新嘗祭の一種と云われる火焚祭という行事が11月中、各地で行われ、社前で新穀のワラを焚いて五穀豊穣に感謝し、家内安全や無病息災、万福招来が祈られます。

十二月〈師走〉

山々の紅葉が次第に朽葉色に変わり、足元に枯葉が積もっていくと同時に目の前の山は冬の色に変わっていきます。師走というのは年の瀬の慌ただしさを言い当てていますが、京都は13日の事始めから更に慌ただしさが目立ち、新春を迎える気分が高鳴ります。

七日~十日
云われや起源は様々ですが、各お寺で京野菜の一つである聖護院大根や長大根を直径1mもあるような大鍋で炊かれ、参詣者に振舞う大根焚きが行われます。この大根が中風除け、長寿延命のご利益があるとされ、多くの人々が遠来します。冬も本番になってきたこの頃にふうふうと吹きながら食す姿は冬の風物詩でもあります。

二十一日~二十二日
この頃、一年で一番昼が短く、夜が長い、冬至となります。この日、浴槽には柚子を浮かべて柚子湯に浸かり、厳しい冬でも健康に暮らせるようにと願う、そして中風除けの呪いで南瓜を食べますが、更にニンジンやレンコン、ギンナン等の「ん」が二つ続く食べ物を七種食べると出世するといわれています。

ページの上へ